舳倉島診療日誌
臨床研修を終えたばかりの新米医師が毎年半年交代で赴任する舳倉診療所。温かい島の人々に囲まれてのんびりすごす島の暮らしを綴りたいと思います。
衛星電話
先日、NTTのシステムダウンで島の固定電話も携帯も全く使えなくなることがありました。

離島で電話が使えなくなると本当の孤島になってしまいます。

診療所が入っている開発センターには孤立防止システムというのがあって、衛星電話でNTTのオペレーターに繋がるようになっています。

またそれとは別にポータブルの衛星携帯もあります。
eisei

こんな事態に遭遇するとなんだかんだ言って日本ってすごい国だなぁと思います。

3時間ほどで復旧したので特に困ったことはありませんでしたが、3時間で復旧させるNTTやDocomoの人たちもすごいですね。

ちなみに舳倉島で使える携帯はDocomoだけです。MOVAでもFOMAでもどちらでもOK。

金沢で勉強会があるため今日から4日間離島します。土日は代診の先生に来ていただく予定です。

150人の主治医
島の人口は夏に向けて少しずつ増えていきます。
舳倉の人はほとんどが輪島にも家を持っていますが、漁をするために夏だけ舳倉島で生活する人が増えるためです。

現在の人口は150人くらいでしょうか。あくまでも感覚的なものですが、それぐらいだと思います。

島民が150人いるということは150人の主治医として生活習慣病の管理や、怪我、緊急疾患に対応する責任があります。

これは3年目の医師にとってはとても大変なことです。
初期研修の2年間は大きな病院で入院患者さんの担当をしてきましたので、外来で自分の患者さんを持った経験がありません。
もちろん誰もが通る道ですが、糖尿病や高血圧、高脂血症といった生活習慣病をどのように管理するかは、研修病院で上の先生の外来を見学した時の知識と、教科書からの知識をたよりに日々これでいいのかと自問自答しながら行っています。

島民の皆さんにとっては頼りない面もあると思います。でも、150人の主治医という責任は重い反面、とても自分を成長させてくれている気がします。何しろ勉強しなければ明日の診療に困りますから必死です。

自分で勉強もしますが、困ったときはすぐにW病院で働いている大学の同期の先生に相談することにしています。研修病院や自治医大の先輩医師に電話やメールで相談することもあります。多くの人に支えられて島の医療は成り立っています。

搬送 その3
肺炎の方を輪島まで搬送しました。

今度は漁船です。
gyosen


舳倉から輪島港まで2時間半ほどかかりましたが、患者さんは途中で急変することもなく、無事搬送することができました。

今日は雨と風が強くニューへぐらは出港できませんでした。
これは輪島で書いています。

実は明日も厳しそうです・・。
定期船には運航基準があって、うろ覚えですが、風速10M以上、波高2M以上になると出ません。その他、注意報や警報等を総合的に考慮して、決定するそうです。

島の人たちと、泣き虫↓のことが心配です。

harugenkan


地域医療の担い手
代々の診療所長は自治医科大学の卒業生です。

自治医大は1972年(昭和47年)に医療過疎地の解消を目的に設立されました。各都道府県からの学生は入学金や授業料を出身の都道府県から貸与され、卒業後に知事の指定する医療期間に9年間勤めれば、その返済が免除されるというシステムです。その9年間のことを義務年限といい、義務年限内は県庁の人事でいわゆるへき地勤務にあたるというわけです。といっても、初期研修を2年間、医師5〜7年目に後期研修を2年間、県立中央病院で行うため、実際の「へき地勤務」は5年間です。さらにその中に地域の中核病院での勤務も含まれますので舳倉島のような本当のへき地勤務は2〜3年ということになります。(注:これは石川県の場合です。各都道府県によって多少状況は異なります。)

最近、国立大学医学部にも自治医大のシステムを導入して、「へき地枠」を作ろうという動きがあるようです。
http://www.47news.jp/CN/200705/CN2007051201000527.html

2004年に新医師臨床研修制度が始まり、医学部を卒業した医師の多くが大学病院ではなく、一般の市中病院で研修をするようになりました。臨床医としての力を付けるためには、稀な疾患の集まる大学病院より、よくみる病気をたくさん経験できる市中病院の方がよいと考えられているためです。
そのため大学には人が集まらなくなり「医局崩壊」などと騒がれました。
大学の医局は「臨床」「教育」「研究」の3つを担っています。「教育」と「研究」は言葉の通りですが、「臨床」は大学病院での医療、また関連病院での医療ということになります。関連病院とはその医局に所属する医師が派遣されて診療を行っている医療機関という意味です。この関連病院をどれだけ多く持っているか、どれだけ多くの優秀な医師をその地域に派遣できるか、これが医局の持つ力ということになります。そもそも医局に入らなくなるわけですから、新医師臨床研修制度がどれだけ医局にとって痛手だったか分かると思います。医局は大学で臨床や研究、教育に携わる医師が不足したため、地域の病院から医師を呼び戻します。これは地域の病院からみれば撤退されたも同然で、当然医師不足に陥ります。実際、私が半年後に勤務する病院でも9年前には9人いた内科医が5人になり、呼吸器内科、脳神経外科はなくなりました。

国立大学医学部のへき地枠構想はこのような地域での医師不足を解消するために出てきたものですが、とても表面的な対策に思えます。

その理由の1つは数合わせ的な考えであるということ。そのへき地枠で卒業した医師の教育は誰がするのか(へき地勤務が決まっているということは医局には原則的には入れないと思います)、へき地勤務が終わった後はどうなるのか、という医師の生涯教育的な考えがないことです。ま、これはそのまま自治医大の卒業生にもあてはまる問題ですが。

また、変な言い方ですが、医師には様々な職業があります。毎日外来に出て、毎日手術をして、病棟には常に20人以上の担当患者さんがいてというバリバリの臨床医もいれば、病理標本と向き合っている医師もいます。もちろん大学で研究をするのも医師の大事な仕事ですし、医学生の教育はそのほとんどが医師によって行われます。他に監察医、保健所所長、産業医、行政分野と多岐にわたります。自治医大についても常にある議論ですが、18歳や19歳という年齢が将来へき地に行き医療をするという決断をするのに妥当かという気がします。決意の問題だけでなく根本的な向き不向きという問題もあります。会社員が営業に向いている人と向いていない人がいるように、医師にも臨床に向く人と向かない人がいます。(もちろん研究にも向いている人と向いていない人がいると思います。)
矛盾するようですが、自治医大の卒業生は学生時代にある種の覚悟がうまれます。周り全てが将来へき地にいくという同じ状況で、しかも寮という空間で6年間を共に勉強、部活にと共同生活を送っています。最初の9年間においてはあまり他の選択肢はなく、少し大げさに言えば、「離れていても将来はともにへき地医療を担ってがんばっていこう!」という雰囲気の中で学生生活を送るわけです。大学の教員も「へき地では」「地域では」という前提をおいて話をすることが多いですし、高学年の臨床教育も地域での即戦力となるように実践的な内容に配慮がされています。そして、30年近い歴史のなかで築かれた卒業生同士の地域医療のノウハウの伝達があり、自治医大の卒業生に対するバックアップ体制も一応整っています。

これだけの環境の差がありながら「自治医大のシステムはいいんじゃないか」、「へき地枠を作っておけば10年後は地域の医者は足りているだろう」という考えで80人から100人いる国立大学の定数の中に5人や10人のへき地枠をぽっと作ることはその学生の将来的にも不安定でかわいそうですし、へき地にいくための準備や教育ができるのか不安です。

では地域の医師不足はどうしたらいいんだ、という問題ですが、これはもうシステムの問題なので、時間をかけて医局にかわる生涯教育のシステムを生み出すか(民間医局なんてもあります)、医局が過去の反省を踏まえて再生するか、相当時間がかかると思いますが本腰を入れて取り組まなければいけない問題だと思います。いずれにせよ今までの医局一本やりではなく多様化せざるを得ないでしょうし、システムを構築することと、今そこにある地域の医師不足の解決を混同してはいけないと思います。もちろん現在の医師不足は深刻で地域での医療格差は明らかに生まれています。医師の労働環境の改善や、待遇面での改善も必要だと思います。しかし、現在の地域での医師不足の解決のために医学部の定数を増やすとか、自治医大風の制度をつくるなどの対策は根本的な治療にはならないのではないかと思います。

舳倉島にきてまだ1ヵ月半ですが、医師になってよかったと思っています。島民のみなさんから信頼され、よい医療を行うために勉強し診察を工夫し、島の言葉を覚えたり、散歩のついでに「この前の風邪よくなったかぁ?」と雑談をする自分は悪くないな、と素直に思えます。島の人たちと犬と一緒に暮らしながら、人生の中で大切なことを学ばせてもらっているなと実感しています。
医学部の定数を増やすことよりも、医療を通じて自分の人間性を高めたいと願う医学生や医師を増やすことがこの問題の解決の本質なのではと思います。まあ、そうなると医学部教育やそこに至るまでの教育、地域づくりまで話がいってしまいますので、とてもとても大きな課題が潜んでることになります・・。今はこの島で自分に与えられた仕事に責任を持ち、勉強し、1日1日を大切にしながら残りの生活を楽しみたいと感じています。

ヘリ搬送 その2
2回目のヘリ搬送がありました。

朝6時ごろ診療所の携帯に家族から電話があり、様子がおかしいのですぐ来て欲しいと。
急いで救急セットを持って車で行くと、右手右足が動かず、ろれつも回らない構音障害という状態でした。意識はしっかりされており、血圧はやや高め。脳卒中と判断し、すぐに区長さんへ電話をしました。海が荒れていて漁船は出せないということで、消防本部へ電話し防災ヘリを要請しました。

家の人に手伝っていただき、何とか診療所まで患者さんを運び、診察し、点滴の開始。診療所にはCTは無いので確定診断はできませんでしたが、脳梗塞か脳出血の可能性が非常に高く消防本部と受け入れ先の病院と連絡を取り合いながらヘリの到着を待ちました。

防災ヘリの場合は診療所から直接要請ができるため(自衛隊ヘリの場合は市役所内に対策本部を設置し、そこから県知事を通して自衛隊に要請しなければなりません)、連絡は非常にスムーズで要請から1時間40分ほどで舳倉島へヘリが到着しました。

heli

ヘリに同乗し金沢の病院へ。本当にヘリは速いです。45分くらいだったでしょうか。

受け入れ先の病院は私が臨床研修をした病院だったので、ドクターも看護師さんもみんな顔見知りでちょっと家に帰ってきたような感じがしました。患者さんの紹介や受け入れというのは、その病院のスタッフの顔を知っているかどうかというのがとても大事だと思います。

患者さんはすぐにCTの検査を受け、やはり脳出血の診断でした。これから大変なリハビリの生活になると思いますが、なんとか元の生活に戻れるように願っています。

その日の内に輪島へとんぼ返りし、次の日の朝の船で帰島を、と思っていたら低気圧の接近で船はでず、1日足止めでした。

その次の日の朝に舳倉島へ。ハルが出迎えてくれていました。
omukae

留守中は何事も無かったようでほっとしました。
ハルの世話をしていただいた島民の皆様に感謝しています。
夜はやっぱり寂しくて結構ないたそうな・・。

3回目がないことを祈ります。



プロフィール

たいち(Taichi)

Author:たいち(Taichi)
住所 〒928-0072 石川県輪島市海士町所属舳倉島出邑山1-4 舳倉診療所
TEL 0768-22-7500
This blog started in April, 2006. I am the fifth author.
Mail:taichihirodog0107@yahoo.co.jp



アクセスカウンター



いま見ている人は



最新コメント(記事毎)+



いくつになったの



About Hegura island



最近の記事



過去ログ +



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



ブログ内検索